59歳でサブ4。やったこと・やらなかったこと、全部書きます

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40代前半に走り始め、59歳の春先、通算22大会目のフルマラソンで、ネットタイム3時間59分台。生まれて初めてサブ4を達成しました。

先に断っておくと、私はコーチでも専門家でもありません。練習は嫌い、走る姿は人に見られたくない、根っからの怠け者の市民ランナーです。だから「こうすべき」は一切言えません。

その代わり、実際に何をやって、何をやらなかったか。事実だけを、全部書きます。

やったこと

1. 距離を積んだ(月100km → 200km → 250km)

私のサブ4の土台は、結局これだけです。夏は月100kmの維持、秋から増やして11月に200km超、勝負の1月に自己最多の250km。スピード練習はほぼしていません。

中身も、その日の体調任せでキロ5分半〜6分半を「なんとなく走るだけ」。メリハリなし、計画なし。LSDと呼ぶには速すぎる、完全な自己流です。それでも、量を積んだら届きました。

2. 夏をサボらなかった

毎年、夏に練習量が激減するのが私のパターンでした。サブ4を狙った年は、暑い時期も「スピードは気にしない、距離だけ」で月100kmを守りました。これで秋からの上積みが効きました。

ちなみに夏場は、10kmも走れば汗で全身びしょ濡れです。一人だけ雨に降られてきたような姿になります。傍から見れば、すっかりガチなランナー。……ますます、知り合いには会いたくありません。

3. レース後、すぐ再開した

以前は大会後2週間程度はしっかり休み、その後の練習頻度も少なく過ごしていましたが、数日の休養で、脚の様子を見ながら再開するように変えました。

4. 本番のペースを「一段」落とした

長年、キロ6分ペースで走って35kmを待たずに足が終わっていました。あるレースで試しにキロ6分20秒程度に落としたら、生まれて初めて最後まで失速なし。「息はまだ粘れるのに、脚が先に終わる」タイプの私には、この一段(キロ約20秒)が効きました。

5. ガーミンの予測タイムから逆算した

私の場合、本番は予測より約5分遅い。だから「目標より5分速い予測が出るまで走り込む」を冬の指針にしました(詳細は別記事に)。

6. 本番ではサブ4ペーサーを前半の目安にした

ただし30km以降に離されても慌てず、自分の時計だけを信じました。結果的にこれが正解でした。

7. エイドで止まらなかった

脚がきつくなる後半は、エイドのたびに少し立ち止まって休むのが私の常でした。特に39km地点は、毎年しっかり足を止めていた場所です。でもこの日は、飲み物だけ取って素通り。サブ4に、1分の余裕もなかったからです。

8. 違和感が出たら、休んだ

大会2週間前にふくらはぎに違和感。走りたいのを我慢して5日間中断し、当日はサポーターで対処しました。悪化してすべてを失うより、安い保険でした。

9. 30kmのロング走を取り入れた

それまで私の長い練習は、せいぜい20km台でした。ネットでサブ4の練習法を調べていると、これがよく出てくるので、取り入れてみたんです。

初めて走ったのは11月。25kmを過ぎたあたりで、もう脚がキツくなりました。ところが2ヶ月後、1月に2回やったときには、**「もう少し走ろうと思えば、走れる」**という感覚に変わっていたんです。脚は確かに強くなっていました。

10. 積み上げた練習量が、終盤の気持ちを支えた

これは狙って手に入れたものではありませんが、いちばん効いたかもしれません。

月150kmすら走ったことのなかった私が、夏も月100km前後でサボらず、勝負の冬には最大250km。 そして初めての30km走。振り返れば、自分でも意外なほどの積み重ねでした。

脚が粘るようになったのは確かです。でも、それ以上に効いたのは気持ちの面でした。本番の終盤、脚が重くなってからも「これだけやったんだから、今までより頑張れるはずだ」と思えたこと。その一点が、私を支えてくれた気がします。

距離を踏むことは、脚だけでなく、自信も作るのだと思いました。

11. 故障とは、それなりに付き合ってきた

正直に書いておくと、私は無傷でここまで来たわけではありません。

走り始めた40代前半に、軽い腸脛靭帯炎(膝の外側が痛む症状)をやりました。原因は、そのときの自分の脚力に見合わない強度で走ったことだろうと思います。身の程を知らなかったんです。その後、ランニング後に簡単なストレッチを続けるようにしたら、私の場合はそれが合ったのか、以来一度も再発していません。

もう一つ、コロナ期からはモートン病(足指の付け根あたりが痛む症状)があります。こちらは今も続いていて、痛みや痺れの強弱はありますが、走れないほどではない。だから正直なところ、半ば無視して走っています。

この経験があるので、私はキツい練習に慎重でした。脚力に見合わないことをすれば、脚は痛む。 一度、身をもって学んでいたからです。だから練習の土台は、「速くなること」より前に**「長期離脱をしないこと」**でした。走れない期間ができてしまえば、そもそも積み上げようがありません。

※症状の名前は、私が調べたり言われたりした範囲のものです。痛みが続く場合は、私のような素人判断ではなく、医療機関で診てもらってください。

やらなかったこと

1. インターバル走・ビルドアップ走

試しました。続きませんでした。キツい練習は、怠け者には続かない。続かない練習は、やっていないのと同じです。

ただ、理由はそれだけではありません。怪我が怖かった、というのも同じくらい大きい。走り始めの頃に一度やっているので、なおさらです。50代の体で急に負荷の高い練習を入れて脚を痛めれば、数週間、下手をすれば数ヶ月走れなくなる。私にとっては、そちらのほうがよほど痛手でした。

2. 減量・食事管理

一切していません。体重は環境(転勤・単身赴任)で勝手に増えて、勝手に戻りました。私の意志は関与していません。

3. 目標の公言

サブ4を狙っていることは、誰にも言いませんでした。達成できなかったときの逃げ道です。私には、そのほうが気楽に走れました。

4. 完璧な練習計画

計画を立てても、怠け者はどうせ守れません。決めたのは「走る日を増やす、距離を伸ばす、夏をサボらない」。それだけです。

一番大事だったこと(私の場合)

続けられる練習しか、しなかったこと。 効率的だけど続かない練習より、非効率でも続けられる練習。

そして、「大会エントリー」という締め切りで自分を縛ったこと。 私は意志の力で走れた日など、15年間で一日もありません。全部、仕組みと見栄で走ってきました。

この裏にある物語

なぜ40代で走り始め、なぜ10kg太り、なぜ59歳でサブ4を目指したのか。24歳の初マラソンで車から降りられなくなった日から、59歳のゴールまでの顛末は、全19話の実録シリーズに書きました。

第1話:車から、自力で降りられなかった日
シリーズ目次(全19話)

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