40代前半に「ふわっと」走り始めた怠け者ランナーが、59歳でサブ4を達成するまでの実録シリーズ(全19話・週1〜2話ペースで公開中)・第18話。勝負の冬、そして大会直前に違和感が出た話です。
「ガーミンの予測タイムで、3時間55分を切る」。「あと10分」、そして「あと5分」。二度、あと一歩で届かなかった結果から導き出したこの目標を胸に、私は人生でいちばんの走り込みに入りました。
1月、自己最多の250km
冬の間、私はただひたすら、距離を積みました。
そして1月。月間走行距離は、ついに250kmに達しました。20分走るのがやっとだったあの頃の私からは、想像もつかない数字です。自己最多。我ながら、よく走ったと思います。
この月、30kmの練習も2回入れました。
1回目は、やはり脚がキツくなりました。ところが2回目――キツいのは同じでも、「もう少し走ろうと思えば、走れる」という感覚があったんです。
11月には25kmで脚が終わっていた。それが、2ヶ月で変わっていた。30km走を重ねるうちに、脚が少しずつ強くなっていたのだと思います。
ちなみに、一つ不思議に思ったことがあります。12月のフルでは42kmを4時間5分で走れたのに、1月の30km走では脚がキツくなる。フルの疲れがまだ抜けていなかったのか、それとも本番のアドレナリンがそれだけすごいのか。……正直、いまだによく分かりません。
その成果は、ガーミンにもはっきり表れました。大会1ヶ月前の予測タイムは、3時間51分。目標の3時間55分を、しっかり下回っている。
正直に言います。このとき私は、サブ4を確信していました。 これだけ走り込んで、時計もこれだけの数字を出している。もう、いけるはずだ、と。
2月、歯車が狂い始める
ところが、2月に入ると、少しずつ歯車が狂い始めます。
強い寒波が続き、おまけにプライベートの行事も重なって、週末の長距離練習が、思うようにできない。練習量が、じりじりと落ちていきました。
それでも、「1月にあれだけ走ったんだ、少しくらい大丈夫だろう」。私はまだ、どこかで楽観していたんです。
今になって思うと――寒波も行事も本当のことですが、それだけではなかった気がします。
「もう大丈夫だ」と確信してしまったこと。それ自体が、どこかで気を緩ませていたのかもしれません。
逃げ道を塞がないと走れない男が、安心してしまった。振り返れば、私にとっては、いちばん危ないパターンでした。
大会2週間前、ふくらはぎの違和感
そして、大会まであと2週間を切った頃。
ふくらはぎに、違和感が出ました。足がつる感覚に少し似ているけれど、それとは違う、嫌な痛みと違和感。――これは、まずい。
私はネットであれこれ調べました。原因は何なのか、どうすればいいのか。不安なとき、つい検索を繰り返してしまうのは、きっと私だけではないはずです。
迷った末に出した結論は、**「とりあえず、5日ほど走るのをやめる」**こと。サブ4を目前にして、走りたくてたまらない。でも、ここで無理して悪化させたら、すべてが台無しになる。怖くて、休むしかありませんでした。
不安を抱えたまま、スタートラインへ
大会前の1週間は、脚に違和感が出ないかを確かめながら、軽く脚を鳴らす程度の練習だけ。恐る恐る、体の様子をうかがう日々でした。
そして迎えた、大会直前。ガーミンの予測タイムは、3時間58分。
2月の失速と、5日間の中断。その分だけ、あれほど良かった数字は、じりじりと後退していました。目標だった3時間55分は――残念ながら、達成できないまま。
「確信」は、いつのまにか消えていました。ふくらはぎは、本当に大丈夫なのか。3時間58分の予測で、5分遅い本番だと、また届かないんじゃないか。
期待と不安を、半分ずつ抱えたまま。私は、その年の春先の大会の、スタートラインに立ちました。
――人生でいちばん、必死に走ることになる42.195kmが、間もなく始まります。
(続く)
📋 この時期の記録
- 年齢:59歳
- 練習:1月に自己最多の月間250km+30km走を2回(2回目は「もう少し走れそう」と感じた)。ガーミン予測3時間51分 → 2月は寒波と行事で失速。大会2週間前にふくらはぎに違和感 → 5日間の完全中断
- 直前の状態:ガーミン予測3時間58分(目標の3時間55分に未達)
- 私の場合:違和感が出たら休む。5日間の中断は、悪化してすべてを失うより安い保険でした
- 反省:練習量が落ちたのは寒波と行事のせいですが、「もう大丈夫」と確信したことによる気の緩みもあったかもしれません

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