40代前半に「ふわっと」走り始めた怠け者ランナーが、59歳でサブ4を達成するまでの実録シリーズ(全19話・週1〜2話ペースで公開中)・第5話。20年ぶりの復活フルと、その後何年も続いた「情けないループ」の話です。
前回、私は怠け者なりに逃げ道を塞ぎ、20年ぶりのフルマラソンにエントリーしました。今日はその結果と、そのあと数年間の、情けないけど正直な話です。
復活フル、結果は
結論から言うと、完走できました。タイムはたぶん5時間台の後半。決して褒められた記録ではありません。
正直、走っている最中はずっと「なんでエントリーしてしまったんだ」と後悔していました。そしてゴールした瞬間に思ったのは――「もう二度と走らない」。
……なのに不思議なもので、それと同時に、ちゃんと達成感もあったんです。 めちゃくちゃキツかったけれど、それでも自分の足で完走できた。その事実だけは、確かにうれしかった。
20代の初マラソンとの違いも、一つだけありました。あのときのように足を引きずってゴールするような、壊れ方はしなかったんです。20年のブランクと年齢を考えれば、ささやかな進歩でした。
(正直に言うと、15年も前の話なので、レースの細かいことはもうほとんど覚えていません。覚えているのは「めちゃくちゃキツかった」「でも達成感はあった」「引きずってはいなかった」、それくらいです。)
「翌日出勤」目標、いきなり検証不能
ところで前回、私は「翌日にちゃんと出勤できる走力をつけるのが目標だ」と、ずいぶん大層なことを言いました。
正直に白状すると、この復活フルの翌日、出勤したのか休んだのか、もう記憶が曖昧です。当時の大会は翌日が休みにあたることが多く、「これなら、無理して出勤しなくていい」――その安心感が、私のような怠け者には、エントリーへの後押しになっていたのだと思います。
まあ、少なくとも、自分の脚を腕で持ち上げて車から降りる――そんな事態にはならなかった。それだけで、私としては十分でした。
そして、また走らなくなる
さて。「二度と走らない」と本気で思ったのだから、当然そのあと、私はまた走らなくなりました。
……ところが、です。
翌年のエントリー時期になると、テレビで大会の案内――参加者募集のお知らせが流れます。すると不思議なことに、あれほど強烈だった「二度と走らない」という記憶が、すーっと薄れていくんです。
そして気づけば、また申し込んでいる。申し込んだら、また超スローペースから、ゼロみたいに走り始める。そして本番で、また「なんでエントリーしたんだ」と思う。
この情けないループを、私は何年も繰り返していました。
歩いても、平気だった
当時エントリーしていたのは、場所こそ地方のローカルな大会でしたが、参加者は多く、おもてなしは本当に素晴らしくて、沿道からは温かい声援をもらえる、そんな大会でした。
それでも私が平気で歩けたのは――声援をくれるのは、みんな見ず知らずの人たちで、知り合いに「歩いている姿」を見られる心配が、まずなかったからです。
走っては歩き、歩いては走り、毎回5時間オーバーでゴール。それでも、まったく満足でした。完走さえできれば、タイムなんてどうでもよかったんです。
我ながら、見栄っ張りな性格
今になって思うのは――他の参加者が歩いていたって、フルマラソンに参加すること自体が、十分すごいことだということ。誰が歩いていようと、立派なものです。
なのに、こと自分のことになると、そう思えない。「自分が歩いている姿」だけは、どうしても人に見られたくない。我ながら、ずいぶん見栄っ張りな性格なんだと思います。
ゆるい繰り返しで、十分だったはずが
数年間、私はこのゆるいループで満足していました。怠け者の私には、それがちょうどよかった。
そんな私が、あるとき初めて――「歩かずに走りたい」「それができれば余裕で5時間を切れる」と思うようになります。
きっかけは、新しく始まった、もう一つの大会でした。
(続く)
📋 この時期の記録
- 年齢:43〜48歳(1月の大会に毎年参加、計6大会)
- 練習:大会後はしばらく休み、春〜夏は月3〜5回 → お盆明けから週1〜2回に増量。大会時点で「10kmを1時間くらい」で走れる仕上がり
- 結果:毎回5時間台(エイドのおもてなしに立ち寄り、30km待たずに足が終わって歩いたり走ったり)
- 私の場合:「本番までに10km」の練習量では、何年繰り返しても5時間は切れませんでした

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