40代前半に「ふわっと」走り始めた怠け者ランナーが、59歳でサブ4を達成するまでの実録シリーズ(全19話・週1〜2話ペースで公開中)・第10話。コロナで大会が消えた3年間、どこまで転がり落ちたかの話です。
サブ4まで、あと10分。体重を戻せば、来年こそ――そう思っていた私を待っていたのは、まさかの「走る場所そのものの消失」でした。
新型コロナウイルス。マラソン大会の中断は、結局トータルで3年間に及びました。
1年目 ―― 出るはずの大会が、二重に消えた
最初の年は、大会の直前になって、中止が決定されました。
ただ、正直に言うと、私の場合はもっと手前で詰んでいました。実はその大会にはエントリーしていたものの、抽選で外れていたんです。つまり、中止になるよりも前に、そもそも出場できる状況ではなかった。二重に、走る場を失っていたわけです。
出る大会がない。たったそれだけのことで、私のモチベーションは、すとんと落ちました。練習量も、自然と減っていきます。
締め切りがないと、こうも崩れる
ここで、私という人間の本質が、はっきり出ます。
思えば私は、ずっと「大会にエントリーして、逃げ道を塞ぐ」ことでしか走れない人間でした。20年ぶりの復活も、見栄を張った日々も、すべて「大会」という締め切りがあったからこそ、重い腰が上がっていた。
その締め切りが、消えた。すると怠け者の私は、驚くほどあっけなく、坂道を転がり落ちていったんです。
週1〜2回、短い距離だけ
その後も、大会のない日々は続きました。
その間、私の練習量は大きく減りました。走るのは週に1〜2回、それも短い距離だけ。かつて週末に20km走っていた頃が、嘘のようでした。
気づけば、10キロオーバー
そして、体重です。
前回お話しした増加は、止まるどころではありませんでした。サブ4が近づいていたあの頃から数えると、気づけば私の体重は、10kgもオーバーするまで「育って」しまっていたんです。
こうなると、いずれコロナが明けて大会が再開したとしても、「サブ4を達成しよう」なんていう考えは、もう頭からきれいに消えていました。
目標は「怪我をしない程度に、ゆっくり」
このときの私の願いは、本当にささやかなものでした。
とりあえず、ゆっくりでいい。怪我をしない程度に、走ろう。ただ、それだけ。
正直なところ、この時点でもし大会に出ていたら、5時間を切ることすら、とてもできる状態ではありませんでした。サブ4どころか、サブ5すら危うい。かつて4時間10分で走った男は、もうどこにもいなかったんです。
それでも、心のどこかで
ただ、一つだけ。心のどこかで、私はこうも思っていました。
また大会が開催されるようになれば、きっとモチベーションも戻る。そうなれば、練習量も増やせるはずだ、と。
そして、ささやかな目標を立てました。「次の大会では、あまり歩かないでゴールしよう」。
サブ4でもない。自己ベストでもない。ただ「歩かずに完走する」。それが、10kg太ってしまった今の私にできる、精一杯の目標でした。
――そして、ついに。大会が、戻ってくる日が来ます。
(続く)
📋 この時期の記録
- 年齢:53〜55歳
- 状況:コロナで大会中断(計3年)。練習は週1回・月20〜50km程度に減少。55歳は一時月100kmまで戻すも大会中止、その後は月60km程度
- 結果:体重はピークで+10kg。5時間切りも危うい走力に
- 私の場合:「大会」という締め切りを失うと、約10年続けた習慣でもあっけなく崩れました

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